大判例

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東京地方裁判所 昭和38年(ワ)10931号 判決

原告 谷田一郎

〈ほか一名〉

右両名訴訟代理人弁護士 佐伯静治

同 村井正義

同 石川正一

同 藤本正

被告 国

右代表者法務大臣 石井光次郎

右指定代理人局付検事 藤堂裕

〈ほか三名〉

主文

被告は原告谷田一郎に対し金二三一万二五九〇円及び内金四万一五二〇円に対する昭和四〇年一一月一一日以降、その余に対する同年同月一日以降各完済まで年五分の割合による金員を、原告荒木二郎に対し金二一三万六四九七円及び内金三万八九〇〇円に対する昭和四〇年一一月一一日以降、その余に対する同年同月一日以降支払済に至るまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

原告らその余の請求を棄却する。

訴訟費用は被告の負担とする。

この判決は第一項に限り仮りに執行することができる。

事実

第一当事者双方の求める裁判

原告両名は別紙「請求の趣旨」記載のとおりの裁判を求め、

被告は「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との裁判を求めた。

第二請求の原因

一、原告谷田は昭和二八年七月二九日、同荒木は昭和二九年七月一二日いずれも駐留軍労務者として期間の定めなく被告に雇われ、原告谷田は米陸軍極東地図局(以下単に地図局という)地図部に航空写真技術者副長として、原告荒木は同部にムルチプレックス技術者として勤務していたものである。

二、(保安解雇)

日米両国政府間には駐留軍労務者の保安を理由とする解雇についての協定(契約番号DA―九二―五五七―FEC―二八、〇〇〇に対する附属協定)が成立しており、保安解雇の基準として「(1)労務者が妨害行為(サボタージュ)もしくはちょう報行為を行い軍機保護に関する諸規定に違反し、またはそれらのための企画もしくは準備をなすこと、(2)労務者がアメリカ合衆国の保安に直接的に有害であると認められる政策を採用しまたは支持する破壊的団体または会の構成員であること、(3)労務者が前記(1)に定める諸活動に従事する者または前記(2)に定める団体もしくは会の構成員と、アメリカ合衆国の保安上の利益に反して行動するとの結論を正当ならしめる程度まで、常習的にまたは密接に連けいすること」が定められている。ところで、被告は昭和三六年九月二八日原告らに対し暫定出勤停止の措置を口頭でつたえ、翌九日右停止の通知書を交付し、次いで昭和三七年五月八日右基準(2)に該当し原告らの雇傭を継続することは駐留軍の保安上危険であるとの理由で解雇の意思表示をした。

三、(予備的解雇)

被告は原告らに対し東京都港渉外労務管理事務所長の原告らにあてた昭和四〇年九月一八日付「雇傭契約解除について」と題する各書面をもって同年一〇月三一日限り予備的に整理解雇の意思表示をした。

四、しかしながら右保安解雇は次の理由により不当労働行為として無効である。

≪以下事実省略≫

理由

第一  原告主張の請求原因一、二、三の事実は、すべて当事者間に争いがない。

第二本件保安解雇の効力

一、原告らの組合経歴

原告らが全駐労東京地区地図局支部の組合員であることは当事者間に争いがなく、原告両名各本人尋問の結果によれば原告らが、それぞれ別紙目録記載のような各組合歴を有すること(ただし、原告荒木が昭和三六年四月執行委員に選出され組織副部長に就任、同三七年四月執行委員に選出され法対関係を担当した事実は当事者間に争いがない。)を認めることができる。

二、原告らの組合活動

(一)  同支部が昭和三三年九月から同年一〇月にかけて、PD切替(駐留軍労務者で組合員である運転手、ボイラー係印刷部の労務者を民間業者の従業員に切替え下請制度にすること)反対闘争、同三五年三月春季賃上げ闘争のストライキを行ったこと、昭和三五年四月一日から駐留軍労務者の賃金について一率七〇〇円の昇給が行われたがこの昇給が一部の労務者に対しては行われないという事態が生じたこと、昭和三五年一二月秋季賃上げ闘争の一環としてストライキが行われたこと、右秋季闘争が年内に解決されないで昭和三六年一月二六日にストライキに突入したことは、いずれも当事者間に争いがない。

≪証拠省略≫によれば次の事実が認められる。

(1) 原告両名は、前記昭和三五年春季及び秋季闘争のストライキにおいて正門のピケ隊長であった吉田豊の補佐を闘争委員会から命ぜられ、組合事務所に泊り込み、赤旗をたてたりピケットの設営等を行い、ピケットの最先端にたち、軍人軍属の車が正門を通過する都度車中に日本人従業員が同乗しているかどうかをあらため、同乗している場合は説得してその者を下車させ、絶えず車の出入を監視し、自ら赤旗をふり音頭をとって労働歌を歌い気勢の鼓舞につとめ闘争本部の指令を各ゲートに伝達する等の活動をし、昭和三六年一月のストライキの際も、当時寒さと警察の介入とにより消沈していた組合員の志気を鼓舞するため、原告谷田はうた声行動隊を作り、全駐労東京地区本部の承諾のもとにこれをひきいて各ピケ隊を巡り歩いて激励し、原告荒木は写真班として活躍した。

(2) 昭和三五年春闘の結果である前記一率七〇〇円の昇給を受けなかった者の中には、地図局の航空写真測量技術者の一部が含まれていたことから、同支部が米軍側に抗議をした際、原告両名は、右昇給を受けなかった者の代表者が米軍側と交渉できるように、デビジョン・チーフ代理の黒川某、総務課長中村某と話合い、昭和三五年九月三日には東京都庁へ出かけて大衆団交を行った。

(二)  ≪証拠省略≫によれば次の事実が認められる。

(1) 原告谷田の上司であるステレオ・ブランチ・チーフの地位にある訴外根占某が組合の要求を米軍側にとりつがず、米軍側の要求を一方的に組合に押しつけ、独裁的であって指導者として適任でないという不満から、昭和三三年九月頃原告両名が中心となり支部組合員らにおいて根占リコール運動をおこし、原告谷田が根占を呼びに行って職場集会の席上同人に抗議し、原告荒木が同年同月二六日付「ステレオ・ブランチ・チーフ根占氏リコール要求書」を作成し、原告両名ほか五三名が連署した上、原告両名が代表としてこれを当時の地図部部長ウオルバートンに提出した。

(2) 同三四年四月頃平原某が地図部のステレオ・ブランチ・チーフ前記根占某の補佐に就任する噂が伝わるや、同人には以前反組合的言動があり且つ独裁的傾向があったという理由で、前記吉田及び原告両名が中心となって反対運動をおこし、総務課長今村某及び地図部部長代理黒川某を通じ或は直接面会して当時の地図部部長ウオルバートンに抗議した結果前記平原某のステレオ・ブランチ・チーフ補佐の就任を阻止することに成功した。

(三)  ≪証拠省略≫によれば次の事実が認められる。

原告谷田は昭和三四年頃から職場委員、青年婦人部員として、また、原告荒木もその頃から青年婦人部員、教宣部員、次いで組織部副部長(組織部副部長であったことは争いがない。)として、それぞれ観劇斡旋、歌唱指導、機関誌編輯等の情宣諸活動に従事し、これを通じて支部組織の拡大につとめて来たが、特に昭和三六年七月より同年九月にかけての組織拡大月間に際しては、原告両名は組織拡大対策委員会の構成員となり、前記吉田豊と共に中心となって活躍し、多数の組合新加入者を獲得した結果、昭和三六年九月には地図局作業及び企画部、管理部、庶務部関係の日本人従業員中組合員数は約四〇名中七名、地理調査部のそれは約一二〇名中五名、測地部のそれは約一〇〇名中二〇名、印刷部地図配布部のそれは約一六〇名中一二〇名程度にすぎなかったのに対し、原告ら所属の地図部は従業員約二五〇名中組合員二二五名で、非常に高い組織率を示した。なお、昭和三四年後半から昭和三六年初めにかけて、原告荒木は地図局支部機関誌である「スクラム」青年婦人部機関誌である「ひろば」を正門で、原告谷田はこれらを西門(陸橋門)で配布するのを常としていた。

三、原告らの組合活動に対する軍側の態度

(一)  ≪証拠省略≫によれば次の事実が認められる。

前記二、(一)(1)で述べた原告らのピケ隊長補佐としての活動は(1)原告両名が右活動にあたり連絡員と書かれた腕章をつけていたこと、(2)正門は米軍高級将校の出入する門であるのみならず、軍の本部である司令部から二〇米位しかはなれていないので、本部の建物から原告らの右活動が肉眼で見えること、(3)米軍側は屋上にカメラを備えてストライキの状況等を撮影していたこと、などから見て当然軍側の注目をひいたと推測できる状況であった。

(二)  ≪証拠省略≫によれば、次の事実が認められる。

原告両名の前記二の(三)の機関誌、ビラ等の配布行為の頻度は、いずれも週一回、闘争時には毎日か週三、四回位であったが、原告荒木の配布場所である正門はさきに述べたとおり米軍高級将校の出入する門であり西門も米軍の軍人、軍属が常に通行する門であったから、地図局支部の組合員は日本人従業員のみが通る場所である裏門の配布行為は引受けても正門西門の配布行為はいやがるのが常であり、勢い右各門での原告両名の前記配布行為は軍側の注目をひいていた。また、米軍側は従前職場で副長に推薦された者を常に副長に任命する慣例であったのに、昭和三三年七月頃ムルチ職場での副長任命にあたり、原告荒木を含む六名が職場から推薦され、課長ブランチ・チーフもこれを認めていたに拘らず、原告荒木のみが米軍側の反対に逢って副長に任命されなかった。

(三)  ≪証拠省略≫によれば、地図局支部では東京都庁との団体交渉又は港渉外労務管理事務所との団体交渉等のための動員には青年婦人部員をあてることが多かったが、その際は出勤時間中であれば私用休暇届を出さなければならず、従って米軍側から注目されるので動員を受けることをいやがる組合員が多かったに拘らず、原告両名がすすんでこれを引受けていたこと、また、原告ら参加の闘争の状況とか拡大対策委員会の構成等も「スクラム」に掲載され又は掲示板にも掲示されるので米軍側には直ちに知れわたっていたことが認められる。

(四)  ≪証拠省略≫によれば、原告荒木は昭和三六年八月頃配布してあまったビラを私物置場においていたり、水を飲みに行った帰りに当時の地図局支部組織部長瀬村和信の仕事場に立寄ったりすると、直ちに地図部副部長であるダウから注意を受けたこと、ところが他の従業員でこの種の行為について注意を受けたものはいないこと、原告谷田も昭和三六年八月頃仕事をしていたところ右ダウが部屋に入って来て机の上の労金関係の書類を指して組合活動をしているのではないかと三〇分間位にわたって詰問されたことがそれぞれ認められる。

(五)  ≪証拠省略≫によれば、昭和三二年当時地図局支部の主流は印刷部で組合員も多数おり組織率も高かったが、その頃地図局支部青年婦人部員であった訴外佐藤某、大河原某らが青年婦人部活動をとおして地図部の組織化につとめ、同訴外人らが保安解雇された後は前記吉田豊、原告両名らが同様の努力を続けた結果、地図部の組織率が前示のように高まったところ、右吉田豊も昭和三八年三月頃原告両名と同じ理由で保安解雇に処せられたことがそれぞれ認められる。

四、原告両名の保安解雇理由

≪証拠省略≫によれば原告両名は「基本労務契約細目書F節Ibの基準に該当する破壊的団体の構成員であって、昭和三五年一二月頃から該団体東京都北部地区委員会主催の集会にたびたび出席するなど活発な組織活動を行った。」という理由で保安解雇されていることが認められるが、右破壊的団体とは何か、その東京都北部地区委員会とは如何なる性質の会合かを認めるに足りる立証はない(原告両名本人尋問の結果によれば、原告両名は北区労働組合連合会の会合に出席していることを認め得るけれども、右連合会は地図局支部が加入している上部団体たる労働組合にすぎないことが右各本人の供述により明らかである。)。

五、以上一ないし四判示のとおりであって、原告両名は昭和二九年ないし同三〇年頃から全駐労地図局支部に加入し、以後各般の組合活動に従事して来たが、特に同三五年の春闘、秋闘及び同三六年一月のストライキ或は同年七月から九月にかけての組織拡大対策月間における原告ら両名の積極的な組合諸活動がようやく米軍の注目をひくに至った矢先、同年九月二八日保安解雇の前提である本件各暫定出勤停止措置がとられ以後所要手続を踏んで本件保安解雇が行われている反面、原告両名の前認定にかかる組合活動と同程度の組合活動をしていながら保安解雇に処せられなかった者がいる等本件保安解雇がもっぱら保安の目的にいでたものと推認させるに足りる証拠はなく、また、本件保安解雇につき基本労務契約所定の保安解雇基準該当と認めるに十分な理由があることの立証も十分ではない。

それ故、本件保安解雇の決定的理由は原告らの前記認定の各組合活動を嫌悪し、地図局支部の組織の拡大を阻止せんがためになされたものと認めるのが相当であって、右解雇は労働組合法第七条の不当労働行為に該当し無効というべきである。

六、そして原告両名が被告から昭和四〇年九月一八日付で同年一〇月三一日限り予備的に整理解雇されたことは当事者間に争いなく弁論の全趣旨によればその間、原告両名は賃金の支払を受けていないことが認められる。

ところで、この間原告らの雇傭契約上の債務の履行は債権者である被告の責に帰すべき事由により不能となったものであること上来認定の事実関係から明らかであるから、被告は原告両名にその間の賃金一時金及び整理解雇に伴う退職金を支払う義務があるというべきである。

七、そして、原告らの未払賃金額、一時金額、退職金精算額が、

≪以下算出に関する判示省略≫

八、よって原告両名の本訴請求は右の限度で理由があるものとしてこれを認容し、その余は失当として棄却すべく、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条第九二条を、仮執行の宣言については同法第一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 川添利起 裁判官 園部秀信 裁判官西村四郎は転補につき署名捺印することができない。裁判長裁判官 川添利起)

〈以下省略〉

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